桜に包まれた八甲田山雪中行軍遭難資料館&幸畑陸軍墓地

三内丸山遺跡を訪れた僕は、ここからバイクで30分ほどの近い距離にある『幸畑陸軍墓地』と敷地内にある『八甲田山雪中行軍遭難資料館』を訪れました。八甲田山雪中行軍遭難とは明治35年冬、青森歩兵第五連隊210名が八甲田山雪中行軍に失敗して199名もの犠牲者を出した山岳遭難事故です。

新田次郎『八甲田山死の彷徨』で小説化され、この小説を原案とした映画『八甲田山』でこの遭難事故が一般に知られるようになったそうです。

訪れた日-2014.4.28

八甲田山雪中行軍および資料館についての参考サイト

【ウィキペディア 】http://goo.gl/XtQZIb

【青森市観光レクリエーション振興財団 】http://www.moyahills.jp/hakkoda/index.html

八甲田山雪中行軍遭難資料館地図

八甲田山雪中行軍遭難資料館を見学してみる

八甲田山雪中行軍遭難資料館入り口へ。

八甲田山雪中行軍遭難資料館。

敷地内には旧陸軍時代の遺物が。境界石という土地の境界を示した石杭です。

桜並木の向こうに雪中行軍に参加した兵士の墓標が見えますが、まず先に資料館内部を見学することにします。

拝観料は大人260円、大学生・高校生は130円、70歳以上及び中学生以下は無料です。

シアター場。八甲田雪中行軍遭難事件の背景や事件の状況を映画『八甲田山』の映像を交えて放映(約10分)してくれます。ここで雪中行軍遭難事故の概要を学びます。

遭難した青森歩兵第五連隊の当時の行軍状況などが模型や資料などで詳細に示されていました。

当時部隊が所持していた握り飯やモチなど食糧や燃料の複製。小説や映画では行軍中に握り飯が凍って食べられなくなったり、炭や食糧を満載した橇が雪に嵌って動けなくなって放棄する描写がありましたが・・・・。

雪中行軍時に兵士が来ていた服装と、銃・背嚢、現代の自衛隊の雪中行軍時の服装パネルが展示されています。外套生地を触って見るとかなり薄くて0℃以下の外気だと寒い感じ。でも雪中行軍隊はこの服装でマイナス20℃もの極寒の地へ挑んだのですからとても耐えられたものではありません・・・。

雪中行軍隊に参加した青森歩兵第五連隊の将校、兵士の顔写真。

水筒や軍隊手帳といった兵士の遺品や、遭難事故を描いた錦絵が展示されています。

こちらは捜索に使用したカンジキやスコップ、捜索指揮官の軍刀など。

他にも当時の陸軍で使用された資料など様々なものが展示されていてつい夢中になって時間の経過を忘れてしまいます。

全ての展示物を見終わったあとは、地元ガイドさんの案内で墓標を訪れました。

雪中行軍で亡くなった199名の墓標と当時生存していた11名の墓碑が立っています。

中央奥には山口少佐以下将校10名の墓標が立ち、左右に下士官及び一般兵卒189名の墓標が立っています。ちなみに遺骨は全員親族の元に返されていてここにあるのは墓標だけだそうです。

将校の墓標。

第五連隊指揮官・神成文吉大尉の墓標。横には『明治三十五年一月二十七日死体発見』と彫られています。これは死亡した日時が不明だからで、ほとんどの墓標がこうした表記をされています。

山口鋠少佐の墓標には『明治三十五年二月二日死亡』と、死亡日が明確に記してあります。これは山口少佐が救助されたものの病院で亡くなられていて死亡日がはっきり判っているからです。

下士官及び一般兵士の墓標。

墓標の大きさは階級に寄って差があり、階級が上がるに連れて墓標も大きくなります。

華やかに桜に包まれていても、墓標は静かに佇んだまま。

幸畑陸軍墓地は桜の名所でもあるそうで、何人かの地元の人達が花見をして春を堪能していました。

墓標立つ敷地の外に小さなお堂(遭難凍死者地蔵尊(英霊堂))があったので寄ってみました。狛犬がなんだか犬のようなので傍らに立っていた標識を観てみると・・・

狛犬は雪中行軍遭難事故で救助活動に従事したアイヌ犬が産んだ子供だったのです。当時極寒の過酷な環境の中での救助活動は困難で、寒さに慣れたアイヌ人一行とアイヌ犬が救助に参加して活躍したと言われています。

アイヌ犬の狛犬と遭難凍死者地蔵尊。

遭難凍死者地蔵尊の中には雪中行軍隊の木彫の人形が祀られていました。

整然と並べられた雪中行軍隊の人形。

多行松(たぎょうしょう)から墓地を望んで。多行松は明治36年、幸畑陸軍墓地創設時に墓地を囲むように植えられました。

新田次郎氏は小説『八甲田山死の彷徨』の後書きで幸畑陸軍墓地についてこう記しています。

『五聯隊の遭難者墓地は幸畑にある。四方に土手を築き、桜と赤松をめぐらせ、その中に芝生を植え込んだ、なにか西洋の墓地を思わせるものがあった。

正面には山口鋠大隊長の費が一段と高くそびえ、その左右に将校たちの碑が階級に準じて並んでいた。この中に神成文吉大尉の碑があった。一段下って、南側と北側には参拝者の通路を隔てて下士卒の碑が並んでいた。死しても階級の差は歴然として示され、近づきがたいものを感じた。』

僕がこの場所に立って最初に感じたのは『遭難事故は本当にあったんだ』って事でした。この事件が映画や小説でしか知らないことだった事や、100年以上も昔、遠い東北の地で起きたことだから余計実感が湧かなかったからかもしれません。

でもこうして実際に墓標を観たり、遺品を観たりガイドさんの話を聞いていくと確かにこの地で起きていたんだ。ということを実感したのです。

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