飢饉の碑(岩手県遠野市)

訪れた日-2019.5.2

岩手県遠野市のはずれに『飢饉の碑』と呼ばれる石碑が人知れずポツンと立っています。のどかな田園と里山の風景が広がるこの場所でおよそ300年前、大飢饉で亡くなった大勢の人々を供養する為に立てた石碑なのです。

飢饉の碑の場所・地図

  • 付近に駐車場はありません。看板や目印になるものも乏しいので、スマホナビがないと見つけるのは難しいかもしれません。

飢饉の碑へ

飢饉の碑0

県道503号線から枝道への入り口に1本の桜の木がありました。この根本に飢饉の碑はあります。

飢饉の碑1

桜の木の傍らには、飢饉の碑を示す看板と説明板と木のベンチがあります。

飢饉の碑2

写真左の石碑が飢饉の碑。案内板にはこのように記されていました。

『江戸時代には全国的に飢饉がしばしばおこり、遠野でも大飢饉が10回もありました。特に宝暦5年(1755年)、6年とつづいて起きた大飢饉には、領内の人口の三分の一にあたる4300人が飢死をしました。その犠牲者を供養するため、宝暦7年にたてられたのがこの碑です。』

この年は南部藩だけで6万人も亡くなったと言われています。

飢饉の碑3

写真手前が飢饉の碑。その後方にもいくつか石碑が点在しています。

飢饉の碑は1973年に付近で発見され、現在のこの場所に移設されました。

飢饉の碑4

長年の風雨にさらされて石に掘られた文字は判別できませんが、このように記されています。

宝暦七牛時 飢渇死有 無縁聖霊 二月初四日

20文字にも満たない簡潔な文章ですが、石碑に残す程ですから当時の飢餓が如何に壮絶だったかうかがい知ることができます。

飢饉の碑5

飢饉の碑のそばにある他の石碑たち。これらも飢饉と関係があるのでしょうか・・・?

飢饉の碑6

石碑に刻まれた文字は判別不能で飢饉の碑との関係性はわかりませんでした。

飢饉の碑7

さらに奥にも石碑群がありました。

この石碑を訪れた時はゴールデンウイーク真っ只中で春うららかな天気。石碑の脇に植えられた桜が満開を過ぎていて、辺りは里山の風景が視界イッパイに広がるのどかな雰囲気・・・

ここが、想像を絶する飢餓に人々が苦しめられた過去がある場所なんだとは思えませんでした。

南部曲がり家7

遠野市のある岩手県は、太平洋側から吹き付ける冷たい風(やませ)による冷害を受けやすい場所です

飢饉の碑から少し離れた場所に、『南部曲り家千葉家』と呼ばれる豪農の古民家が保存されています。

そこにある土蔵はとても立派な造りをしているのですが、豪農が財力を誇示するためでは無く、飢饉が起きた際に人々を救済するために日頃から食料を大量に備蓄する為にそうしていました。

有史以来何度も飢饉に見舞われて来たなかで、生々しい痕跡として残る飢饉の碑は、人々が厳しい気候にいかに苦しめられ来たかを示す、貴重な遺産の一つだと思います。

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